「カリスマ」という虚構 〜戦国武将 山中鹿之介の言葉〜
戦国時代の出雲の猛将、山中鹿之助に次のような伝承があります。
ある日、初陣を終えた二人の若武者が鹿之助に次のように語った。
ひとりは「敵に向かうと震えが生じて、しっかり敵を見ることもできず、討ち取った敵がどんな鎧であったかも覚えていません」と話した。
もうひとりは「自分はそうではありません。敵がどんな鎧を着て、どんな馬に乗り、組み合った場所など鮮明に覚えています」と話した。
二人が帰った後、鹿之助は傍の人に「最初に話した若武者は、立派で勇敢な武士になるだろう。後に話した若武者は、はなはだ心もとない。もしかしたら、他人のあげた敵の首を拾い取って自分の手柄としたのではないだろうか。さもなくば、次の戦で討たれてしまうだろう」と語った。
はたして後日、その言葉の通りとなった。
世の中には、私たちには見えないヴィジョンが見えるとか、未来が分かるとか、私たちにはできないことができるとか、私たちが知らない秘訣を知っていると吹聴する人たち、時に「カリスマ」と呼ばれる(呼ばせている?)人たちがいます。
でも、よく考えてみてください。
物事にはすべて原因と結果があります。そして、すべての人間は同じ設計図でできた身体と脳を持ち、それを土台に精神・意識が派生しています。
私たちには見えないものが見えるとか、できないことができると言っている人たちは、何か私たちとは異なった身体と脳を、その前提条件として持っているのでしょうか?
ならば、彼らはきっと別の遊星から降ってきたに違いありません。
恐らく、事実は鹿之助の言葉の通りでしょう。
彼らは虚勢を張っているか、勘違いをしているか、嘘をついているだけなのでは?
事実、演奏家もアスリートも、頂点を究めた人ほど謙虚で、自分にだけ特別な風景が見えるなんて言う人はいません。むしろ、究めれば究めるほど、その努力の当り前であることを強調しているのです。
私は個人的には、遠大な努力の積み重ねによって本物の技能を獲得している人以外の、何の具体的裏付けがあるのかよくわからない名ばかりの「カリスマ」の言うことは、目にも耳にも一切入れないようにしています。
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