初等教育において大切なこと
総論として、小学生の教育において競争原理、特に速さを競わせて評価をつけることに私は反対です。
なぜならば、一単位時間あたりの仕事量が多い者ほど優秀であるという観念は、産業資本主義の黎明期に形成された、あくまで工場経営者、雇用者にとって都合の良い価値観で、実際には人間を時計で追い立て、仕事と人生の「質」を等閑視することで、個人の福祉、なかんずく子どもの健全な発達を疎外しているからです。
これについて、ミヒャエル・エンデが「モモ」というアレゴリーにおいて克明に描いているのでそちらをお読み下さい。
しかしながら、自分の子どもができているのかどうかどうしても気になる、小学生はのびのびさせておくのが一番なのは分かっているが、何か将来につながるようなことをさせておきたい、という気持ちも分かりますし、実際に将来、今の子どもたちを待ち受けているのは、生き馬の目を抜く徹底したグローバル資本主義であることを踏まえると、今のうちに他人の子よりも先んじておきたいという願望は至って合理的で健全なものです。
では、何をすべきか?
他人より、どれだけ速くできるのかを競うのではなく、
他人より、どれだけ正確にできるのかを競ってください。
試験でマルがつくのは、速い解答ではなく、正しい解答です。
仕事で評価されるのは、速い仕事ではなく、的確な仕事です。
商品(サービス)として対価は、速さではなく、品質に対して支払われます。
雑なエンジニア、雑なSE、雑な建築士、雑な引っ越し屋、雑な大工、雑な薬剤師、雑な美容師、雑な看護師、雑な外科医、雑な会計士、雑なコンサルタント、雑な板前、雑なパティシエ、雑な演奏家、など
枕詞に「雑」がついて成立する職業は世の中にほとんどありません。
繰り返しますが、速ければ速いほど良いといのは、工場労働や単純労働のように労働の質が問題にならない、労働集約型の産業が国の屋台骨を支えていた発展途上国時代の理想的(資本家から見て)な、労働者像が教育に反映されたものです。
しかし、現在、そして将来はますます付加価値型労働が主流となることは不可避です。
付加価値型労働で重視される、言い換えるとその商品価値の中核をなすのは、「速さ」ではなく「質」です。
そして、その「質」を土台から支えるのが、初等教育で身に付けた「正確さ」なのです。
年齢上限に達する前に。
(2018年12月14日記)
※以下の記事も参照下さい
「英才教育の落とし穴」
https://ameblo.jp/edc-academia/entry-12417387739.html
「なぜアカデミアでは小中高とずっと同じ先生が担当するのですか?」
https://ameblo.jp/edc-academia/entry-12418613725.html
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