「新時代、タフな教育、英語の時代」1
【新しい時代】
はじめに、すこし固い話にお付き合い下さい。
ちょうど2年前、私はフランスの歴史学者ブローデルを引用して、現在は17世紀に始まった近代資本主義社会の転換点にさしかかっていると書きました。ただし、終焉という暗い意味で。それには理由があります。2019年3月の時点では、世界は長年のデフレに苦しみながら返済不能な額の債務を抱え、また新時代の起爆剤として期待されたユビキタスや電気自動車、AI、3Dプリンターなどの発明も尻すぼみになり、それまでの旧弊をリセットして再出発する以外に社会と経済が発展することは不可能な状況だったからです。
しかし、コロナによってすべてが変わりました。
世界経済の破綻を回避することを最優先に、それ以前の常識では許されなかった天文学的額の資金が日米欧中の政府と中央銀行によって市場に供給されました。さらにコロナが終息するまでは、これからも注がれ続けます。最終的にその期間がどれくらいになるかは分かりません。しかし、16世紀に新大陸からもたらされた莫大な銀がヨーロッパで「価格革命」を引き起こしたように、現代社会においてもコロナ対策資金がインフレをもたらすのは貨幣現象の原理に照らして確かです。
そして皮肉な僥倖にも、まさにそれこそ世界の指導者たちが長年望んでいたことなのです。なぜならば、たとえ年率2%でもインフレが複利計算で進んでいけば、これまでに積み上げられた京に達する桁の債務が数十年でチャラになるからです。つまりある日突然、世界の足枷となっていた債務問題に解決の光が差し込み世界は身軽になったのです。
もう一つはイノヴェーションです。
シュンペーターが指摘しているように、イノヴェーションによって新たに大規模な市場が創出され、そこに生まれた需要を満たすために大規模な投資が行われることで経済は発展します。21世紀のこの20年で、スマートフォンとそれをプラットフォームとするSNSやeコマースというイノヴェーションによってどれほど巨大な市場が生まれ、どれだけ経済が成長したのかを考えてみて下さい。
今、コロナ禍を克服するために半ば強引な形で電気自動車(実際にはそれほど環境負荷は低くない)と脱炭素社会へ移行が、次世代の目標として各国によって掲げられました。はたしてそれが本当に必要なイノヴェーションなのか、そしてコスト面で実用可能になるのかは分かりません。しかし、全世界がその目標に向かって一斉に動き始めたのはすでに事実です。そして、そのイノヴェーションに巨額のコロナ資金が流れ込み続けるのです。
結果として、私たちはこれから数十年にわたって産業構造、社会構造、場合によっては経済構造自体(=近代資本主義)の転換、ならびにインフレを目の当たりにすることになるでしょう。私は個人的にはこのコロナ禍により、通貨の発行量が金の保有量や財政倫理によって制限を受けていた「近代資本主義」が終わり、日々生産される膨大な財やサービスを循環させるために無制限に通貨が発行される「現代資本主義」への転換が始まったと考えています。
その意味では、近代資本主義社会は終焉を迎えつつあるという2019年3月の認識は正しかったと言えるでしょう。ところがまさに怪我の功名、本来であれば「終わりのはじまりに」さしかかっていた近代資本主義社会は、コロナという一大事件によって次世代へとポジティブに飛躍するきっかけを与えられたのです。ペスト禍による人口減を克服する努力が、ヨーロッパをユーラシア西端の後進地域から世界の覇者へと鍛え上げたように、コロナ禍は寿命が尽きかけた私たちの社会を持続可能な未来社会へと転換する契機なのかもしれません。
時代が変われば社会が変わる。
社会が変われば求められる人材は変わる。
求められる人材が変われば教育も変わる。
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