超高学歴社会、さらにその先を見据えて(推敲版)
昨年より一連の連載で、東京で超高学歴世帯が急増し、その子どもたちが現代の大学入試で有利に立ち回っているという現状を指摘しました。ただし、この話にはまだ続きがあります。
まず先にお話ししておきます。私は大学受験に携わる人間として、東京の受験環境の地殻変動に言及し、その状況下においてもなお大学入試に勝つには何が必要かを客観的に述べてきたのであって、皆さまもご承知のように、それが人生の全ての問題を解決してくれる最高善だと考えているわけではありません。もちろん、現代社会、そして現代の親御さんが高学歴を要請していることは承知しています。だからこそ、教養や非認知スキル、マインドセット、平たく言えば人間力という、大学受験を離れても一生の糧となるような資質を養って受験に挑むことで、教育の本質である人間形成と、大学受験という現実的な目標の両立を図ろうとしているのです。
では、本題に入ります。このまま東京における超高学歴世帯の増加と再生産が進行すると、十年もしないうちに超高学歴社会が到来しますが、果たしてそれは社会の最終的な二極化を意味するのでしょうか、それともさらに別の社会変化が生じるのでしょうか?
その参考となるのが欧州諸国の状況です。基本的に欧州は学歴社会ではありません。たしかにヨーロッパでもエリート学校を出ていないと就くことのできない職種や入れない高級企業は存在しますが、ほとんどの人にとっては無縁です。それは、ある意味で衰退期に入っている欧州では、雇用は、海外輸出向けの企業ではなく、国内向けの産業やサービス業によって賄われているからです。そして、それらの職種には専門教育や専門知識は必要であっても抽象的な高等教育は不要です。
この先行例を日本に当てはめてみましょう。現在、誰もが大学教育、なかんずく超高学歴を目指すのは、今の日本ではそれが高い収入を得るもっとも確実な方途だからです。しかし、その前提条件がいつまでも続くとは限りません。たとえば、日本の経済が、輸出企業が稼ぐ構造からヨーロッパのように観光やサービスで稼ぐ構造に変わったらどうなるでしょうか?コロナ禍前のインバウンド景気を思い出してください。アメリカのようにインフレによる賃金上昇が進んで、ガソリンスタンドや飲食業でも一千万円以上稼げるようになったらどうでしょう?最近話題の生成型AIによって、高学歴者が得意とする中間レベルの創造性が機械によって代替されてしまったらどうなるでしょう?どれも架空の話ではなく、かなり現実的な想定です。つまり、一見盤石に見える日本の超高学歴志向も、実は歴史の徒花にすぎない可能性が高いのです。
たしかに、社会構造や経済構造の転換には長い時間がかかります。よって、まだ十年ぐらいは学歴社会が続くはずです。しかし、出生数が80万人を割った2022年生まれの子供たちが労働市場に参入する20年後には間違いなく人手不足が顕著になり、高学歴は高収入の要件ではなくなっている可能性が高い。20年後と言えば、今の大学生はまだ40代、中高生は30代です。ましてや小学生は。つまり、人生の中盤で社会の座標軸が大きく変わるのです。観光や一般消費者向けのサービス業が雇用の中心となるその時代に高収入の条件となっているのは、大学で得られる社会科学やエンジニアリングの知識ではなく、人間的な鷹揚さや機転、コミュニケーション能力でしょう。
そう考えると、今目に見えている事象だけを判断基準にして、学歴のみを最高善にした一本足打法を目指すのはリスクが高すぎると言えます。もちろん、当面は学歴社会が続くので、それに対する対策は必要です。しかし、それと並行して社会の転換を見据えて、人間としての根本的な思考力、適応力を養うことが、子どもたちの大切な時間を預かる者の責任ではないか、私はそう考えています。
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